【論文解説】配当税を払うのは誰か?―インドの制度改革が示す企業財務の実態

論文:Does it Matter Whether the Corporation or the Investor Pays Dividend Tax?
(配当課税を誰が負担するかで、企業価値や投資家リターンは変わるのか?)
を分かりやすく解説・要約しました。

出典元:SSRN(2025/2/26掲載)

目次

法人と投資家、どちらが配当税を支払うべきか?インドの実証研究から見る「税の帰着」の本質

1. はじめに ― なぜこの研究が重要なのか

企業が配当を支払う際、「税金を誰が負担するか」という問題は、企業金融の中でも長く議論されてきたテーマです。
本論文は、インドで2020年に行われた「配当配布税(Dividend Distribution Tax, DDT)」の撤廃を自然実験として、
企業と投資家がどのように行動を変えたかを実証的に検証しています。

配当配布税とは、企業が投資家に代わって配当税を支払う制度のこと。
この制度が廃止されたことで、税負担が「企業 → 投資家」へと移転しました。

著者らは、この政策変更が

  • 株式市場でどのような反応を引き起こしたのか

  • 企業が財務構造や配当政策をどう修正したのか

を分析し、税制と企業行動の関係性を明らかにしています。

2. 背景 ― インドの配当課税制度の転換点

インドでは長年、企業が配当を支払う際に「配当配布税(Dividend Distribution Tax, DDT)」を負担していました。
この制度では、企業が投資家の代わりに配当税を納めるため、投資家自身は受け取る配当について追加の税金を支払う必要がありませんでした。
一見すると投資家にとって便利な仕組みでしたが、経済的には「二重課税(二重負担)」の問題を引き起こしていました。

① DDTの仕組みと課題

企業は利益に対して法人税を支払った後、さらに配当を分配する際に追加でDDT(約15〜20%)を負担していました。
つまり、同じ利益に対して企業レベルで二重の税負担が生じていたのです。

この構造は以下のような批判を受けていました

  • 法人税+配当税の重複負担により、企業の内部留保や再投資インセンティブが低下

  • 配当利回りの低下により、株式市場での配当銘柄の魅力が損なわれる

  • 国外投資家にとって非効率:インド企業に投資する際、外国税額控除が適用できないケースが多く、投資回避要因となっていた

そのため、企業金融の観点からは「DDTは資本コストを押し上げ、投資効率を阻害している」との指摘が強まり、政策的な見直しが求められていました。

② 2020年の税制改正:DDT撤廃と投資家課税への転換

2020年のUnion Budget(インド連邦予算)において、政府はついにこの配当配布税制度を撤廃。
以降は、配当を受け取る投資家(個人・機関)が直接税を支払う制度へと移行しました。

具体的には、

  • 企業はもはや配当支払い時にDDTを納める義務を負わない

  • 代わりに、投資家は自らの所得税率に応じて配当所得に課税される(個人税扱い)

  • 源泉徴収(TDS)が導入され、企業は投資家ごとに税額を控除して報告する

この改革は、インド証券市場における税の帰着構造(tax incidence structure)を根本から変えました。

③ 政策目的と期待された効果

政府がDDTを撤廃した主な目的は、以下の3点です。

  1. 二重課税の是正
     企業が既に法人税を支払っているため、追加課税を廃止することで国際的な整合性を確保。

  2. 投資家層の拡大と市場の透明性向上
     投資家ごとに課税を行うことで、所得階層に応じた公平な税負担を実現。

  3. 外国投資家(FPI)の誘致促進
     DDT廃止により、インド株式への投資収益が他国税制との整合性を保ちやすくなり、FPI(Foreign Portfolio Investors)にとって魅力が増すと期待された。


④ 想定外の波及効果:市場・企業への負担転換

しかし、論文はこの「制度改革」が必ずしも一方的にポジティブではなかったことを明確に指摘しています。

DDT撤廃により税負担の法的主体(企業→投資家)は変わりましたが、経済的実態としての負担の所在(tax incidence)は変わらなかったというのです。
つまり、企業は税金を払わなくなった代わりに、投資家が受け取る配当が税引後ベースで減少
結果として、市場全体では次のような反応が観察されました。

  • 投資家は税負担を考慮してポートフォリオを再構築(tax-related rebalancing)

  • 配当銘柄への需要が短期的に減少し、株価の一時的な調整が発生

  • 企業はこれに対応する形で、レバレッジ(借入)や資本投資の増加によって資金運用方針を修正

著者らは、このような一連の動きを「Dividend Tax Relevance Hypothesis(配当税の関連性仮説)」として整理しています。
すなわち、税制度の形式的な変更であっても、投資家・企業の行動を通じて経済的影響が現れるという理論的立場です。

⑤ 研究上の意義

この自然実験は、世界でもまれにみる「法人→個人」への税負担転換を伴う政策事例であり、
論文はこれを通じて以下を検証しています。

  • 税の形式的な納付主体変更が、企業の財務政策・株価・投資家構成にどのように反映されるか

  • 投資家構成(機関 vs 個人)が市場反応をどのように変えるか

  • 政策が資本投資・レバレッジといった企業内部の意思決定変数に波及するか

結果として、このDDT撤廃は、単なる税制改正にとどまらず、企業行動・市場構造・投資家心理を同時に変化させたことが実証的に示されています。


要点まとめ

観点 変更前(DDT時代) 変更後(2020年以降)
納税主体 企業 投資家(個人・機関)
企業負担 高い(法人税+配当税) 軽減
投資家負担 なし 所得税率に応じて課税
企業の資金政策 内部留保・再投資控えめ 投資・レバレッジ増加
市場反応 安定的 初期にネガティブ反応(高配当銘柄中心)

論文が単なる「税制論」ではなく、政策ショックを通じた行動ファイナンス的な市場実証研究であることが明確になります。

3. データと手法 ― 自然実験を用いた因果分析

本論文は、2020年のインド配当配布税(DDT)撤廃という政策変更を「自然実験(natural experiment)」として利用し、
この税制転換が企業の財務政策・株式市場・投資家行動に与える影響を定量的に分析しています。


① 分析対象とデータ構成

研究の対象は、ボンベイ証券取引所(BSE)に上場する非金融企業 1,954社
分析期間は 2017年~2023年 の7年間で、DDT撤廃の前後比較(Before–After設計)を可能にしています。

使用された主なデータ項目は以下のとおりです。

区分 指標の具体例 目的
株式市場データ 日次株価、累積異常収益(CAR)、取引量 イベントスタディによる市場反応の測定
財務指標 配当支払比率、レバレッジ比率、キャッシュフロー、資本投資額 財務政策・資本構造の変化を観察
所有構造 機関投資家比率、個人投資家比率 投資家構成が影響を与えるかを検証
企業特性 年齢、規模、産業分類 回帰モデルのコントロール変数として使用

データは主に CMIE Prowess データベース(インド企業の詳細財務情報を収集する公的データベース)を基に構築されています。


② 手法1:イベントスタディ分析(Event Study)

最初の分析では、DDT撤廃が発表された時点での株価反応(市場の期待変化)を測定しました。
イベントスタディの基本的な枠組みは以下の通りです。

  • イベント日:2020年の財政法発表日(DDT撤廃が正式に示された日)

  • イベントウィンドウ:前後各5日間(±5日)、±10日、±20日など複数設定

  • 推定ウィンドウ:過去250日間のリターンを基準に、市場モデルを推定

計算式としては、

$$
CAR_{i,t} = \sum_{t_1}^{t_2}(R_{i,t} – \hat{R}_{i,t})
$$

ここで、

\( R_{i,t} \) は実際の企業 \( i \) の株価収益率、
\( \hat{R}_{i,t} \) は市場モデルから推定された期待収益率である。

この差(異常収益:Abnormal Return)を累積した CARにより、
市場がDDT撤廃を「好材料」or「悪材料」として受け止めたかを判断します。


③ 手法2:クロスセクション回帰分析(Cross-Sectional Regression)

イベントスタディで得られた CARi を被説明変数とし、
企業特性や所有構造との関係を回帰分析で検証しました。

モデルの形式は次のように整理されています。

$$
CAR_i = \alpha + \beta_1 DY_i + \beta_2 INST_i + \beta_3 RETAIL_i + \beta_4 AGE_i + \beta_5 LEV_i + \varepsilon_i
$$

– \( DY_i \):配当利回り(Dividend Yield)
– \( INST_i \):機関投資家保有比率
– \( RETAIL_i \):個人投資家保有比率
– \( LEV_i \):レバレッジ比率
– \( AGE_i \):企業年齢

この分析によって、「どのような企業がより強い(または弱い)市場反応を受けたか」を明らかにします。

主要な発見(のちの章で展開される)として、
高配当銘柄や小売株主の多い企業ほど株価反応がネガティブであったことが示されています。


④ 手法3:企業行動分析(Panel Fixed Effects Regression)

DDT撤廃が企業行動に与える影響を検証するため、
企業別パネルデータを用いた固定効果モデル(Panel Fixed Effects Model)を適用しています。

代表的なモデル構造は次のとおり、

$$
Y_{it} = \alpha_i + \gamma_t + \beta \, DDT\_REPEAL_t + \delta X_{it} + \varepsilon_{it}
$$

ここで、

– \( Y_{it} \):配当支払比率、レバレッジ、資本投資などの財務指標
– \( \alpha_i \):企業固定効果
– \( \gamma_t \):年度固定効果(年次ショックを除去)
– \( DDT\_REPEAL_t \):2020年以降に1をとるダミー変数
– \( X_{it} \):企業特性(コントロール変数)

この分析により、
DDT撤廃が企業の資本構造・投資・配当政策に与えた平均的な変化量を推定します。


⑤ 頑健性テスト(Robustness Checks)

著者らは、因果性の信頼性を高めるために複数の頑健性テストを実施しています:

  • イベント日・ウィンドウの変更(±3日、±10日など)

  • 産業別サブサンプル分析(製造業・IT・消費財など)

  • DDT撤廃前後のマクロ経済要因(COVID-19、金利変化)を統制

  • Alternative Model:異常収益をマーケットモデル以外(Fama–French 3ファクター)で再推定
    (※本研究では 3ファクターモデル を代替モデルとして用いて異常収益を再推定しています。多因子モデルに拡張する考え方は、Fama-French の 7ファクターモデル解説記事をご参照ください)

結果はいずれの仕様でも一貫しており、

市場反応が統計的に有意なネガティブ方向であること
および企業行動の変化が制度改正によるものであることが確認されました。

⑥ この手法の意義

この研究の方法論的意義は、以下の点にあります。

  • 政策ショック(DDT撤廃)を自然実験(quasi-experimental setting)として捉えたこと

  • イベントスタディ+パネル分析を組み合わせ、短期的な市場反応と中期的な企業行動変化を統合的に評価している点

  • 投資家層(機関 vs 個人)の構成を説明変数として導入し、税制の帰着(tax incidence)をミクロレベルで可視化したこと

これにより、本論文は単なる「税制研究」ではなく、
政策変更が金融市場の構造と参加者行動にどのように波及するかを解明する実証ファイナンス研究として位置づけられています。


この章をまとめると、

DDT撤廃という制度改革は、明確な自然実験条件を提供し、
企業の財務行動・株価・投資家行動を三層的に分析できた。
本研究のアプローチは、税政策と資本市場の連動性を測定するうえで理想的なケーススタディである。

4. イベントスタディの結果 ― 市場は「DDT撤廃」をどう評価したか

本章では、2020年の配当配布税(Dividend Distribution Tax, DDT)撤廃の発表に対して、市場がどのように反応したかを分析しています。
具体的には、株価の異常収益(Abnormal Returns, AR)および累積異常収益(Cumulative Abnormal Returns, CAR)を用いて、
市場参加者がこの政策変更を
「プラス要因」か「マイナス要因」として捉えたかを定量的に評価しています。


① イベント発表直後の株価反応

研究の中心となる結果は明確です。

市場はDDT撤廃を「否定的ニュース」として反応した。

イベント発表日(2020年財政法案の公表日)およびその前後のウィンドウ(±5日間)で、
統計的に有意なマイナスの累積異常収益(CAR)が観察されました。

イベントウィンドウ 平均CAR(%) 備考
(-5, +5)日 -1.42% 有意なマイナス反応
(-10, +10)日 -1.87% 効果はやや拡大
(0, +3)日 -0.74% 直後反応でも負の方向性

この結果は、表面的には「企業の税負担が減る=株価にプラス」という予想に反し、
市場がむしろ慎重または懐疑的な評価を下したことを示しています。


② 反応の異質性 ― 企業特性による違い

著者らは、この平均的マイナス反応の背後に「企業ごとの違い(heterogeneity)」が存在すると指摘しています。
そこで、配当利回り(Dividend Yield)所有構造(Ownership Structure)企業規模(Firm Size)などの条件別に分析を行いました。

主な発見を整理すると次の通りです。

企業特性 市場反応 解釈
高配当企業 より強いマイナス反応 投資家が税制改正による「受取側課税」増を懸念
個人投資家の多い企業 マイナス反応顕著 個人投資家の税負担が直接増加
機関投資家比率が高い企業 比較的軽微な反応 機関投資家は税優遇制度を持ち、影響を緩和
若い企業・小規模企業 反応が不安定 将来の配当政策が未成熟なため方向性がばらつく

つまり、

DDT撤廃=課税の帰着(Tax Incidence)が企業→個人へ移転した結果、
特に小口投資家を多く抱える企業の株価が大きく下落した、という構図が見えてきます。

③ 異常取引量(Abnormal Trading Volume)

株価水準の変化に加え、著者らは異常取引量(Abnormal Trading Volume)にも注目しました。
DDT撤廃発表後の数日間、明確な
取引活発化(volume spike)が観察されています。

この現象は次のように解釈されています。

  • 投資家の間で税負担の再配分に関する「意見の分裂(disagreement)」が発生

  • これにより、売りと買いの両方が急増し、市場内の流動性が一時的に上昇

  • しかし、その後の数週間で取引量は平常水準に回帰

このパターンは、政策発表時に典型的に見られる「不確実性ショック後の調整過程」と一致します。

④ 短期・中期的な価格推移

研究では、DDT撤廃発表後の数週間~数ヶ月にわたる価格推移も追跡しています。

分析結果では、

  • 発表直後の下落(短期ショック)の後も、3ヶ月後までマイナスCARが持続

  • 長期リターン(6ヶ月以上)では、部分的な回復傾向が見られるものの、平均的には「完全回復せず」

これは、投資家が新しい課税体制を反映したリスクプレミアムを再評価している過程を示唆しています。
すなわち、税制変更は短期的な混乱だけでなく、企業の資本コストや配当期待そのものを再定義した可能性があります。

⑤ 分析の頑健性確認

著者らは、このイベントスタディの信頼性を検証するために、複数の頑健性テストを実施しています。

  1. 異なる市場モデルによる再推定

    • 単純市場モデルだけでなく、Fama–French 3ファクターモデルを使用しても結果は一貫。

  2. 異なるイベントウィンドウ設定

    • ±3日、±10日、±20日の各ウィンドウでいずれも負のCARが確認。

  3. 産業別分析

    • 金融・エネルギー・製造など主要セクターで傾向が一致。

    • ただし、情報通信産業では反応がやや弱い傾向。

  4. コントロールイベント(Placebo Test)

    • 同時期の他の税制変更イベントを用いて比較した結果、DDT撤廃のみに有意反応が集中していた。

これにより、

「市場反応は偶然ではなく、DDT政策変更そのものに起因している」ことが裏付けられました。

⑥ 考察 ― 市場心理の読み解き

論文はこの結果を次のように総括しています。

「市場は、DDT撤廃を企業にとっての恩恵よりも、
投資家の税負担増として認識し、マイナス方向に反応した。」

つまり、投資家は「企業の支払う税金の減少=純粋な価値向上」とは見なさず、
むしろ税の帰着(incidence)がどちらの側に移るかに敏感に反応したのです。

この分析は、税制変更が単なるコスト変化ではなく、負担主体の移転として市場に作用することを示す重要なエビデンスとなっています。


⑦ 要約:市場反応パターンの全体像

観点 結果 含意
株価変動 短期的に有意なマイナス 投資家が受取側課税を懸念
取引量 発表直後に急増 不確実性と意見分裂の反映
投資家構成 小売投資家が多いほど影響大 税負担の直接影響が強い
持続性 数ヶ月単位でマイナス維持 税制変更の再評価が継続

この章のポイントをまとめると,

DDT撤廃は、短期的には株価下落と取引活発化を引き起こし、投資家層によって異なる反応を生んだ。
市場は「企業の税軽減」よりも「個人投資家の負担増」を重視し、結果として全体的な市場評価はネガティブであった。

5. 投資家・企業行動の変化 ― 配当税制変更後の戦略シフト

イベントスタディで明らかになったように、配当配布税(DDT)撤廃は市場に短期的な混乱をもたらしました。
しかし、より重要なのは「その後、投資家と企業がどのように行動を変化させたのか」です。
著者らは2020〜2023年のデータを分析し、配当政策・レバレッジ・資本投資といった企業の財務行動の実質的変化を追跡しています。


① 配当政策の変化 ― 「企業主導」から「投資家対応型」へ

DDT撤廃以前、インドの制度では企業が配当支払い時に税金を一括で納付していました。
しかし制度改正後は、配当を受け取る投資家が個別に課税される仕組みとなったことで、
配当支払いは「受取側の税務事情に左右されやすい」構造へと変化しました。

実証結果では、以下のような傾向が確認されています:

指標 傾向 解釈
平均配当支払率(Dividend Payout Ratio) わずかに上昇 一部企業は投資家離れを防ぐため、名目上の配当を維持・増加
配当頻度(Frequency) 安定的 四半期配当よりも年次配当中心に回帰
高配当企業 配当率上昇・投資拡大 投資家ニーズへのシグナルとして活用

つまり、「税制変更後も配当を維持する=投資家フレンドリー企業」という評価軸が強まったのです。
市場ではこの行動を「信頼性シグナル仮説(Signaling Hypothesis)」として位置づけています。


② 投資家の反応 ― 機関投資家と個人投資家の分断

投資家の側にも、明確な行動変化が見られました。

  1. 機関投資家(Institutional Investors)

    • 税優遇措置(免税または軽減税率)を持つため、DDT撤廃の影響は限定的。

    • むしろポートフォリオの再配分(rebalancing)を活発化させた。

    • 高配当銘柄へのシフトを確認。

  2. 個人投資家(Retail Investors)

    • 直接課税による税負担増を嫌い、配当よりも値上がり益重視へ

    • 成長株や非配当企業への資金シフトが発生。

    • 短期的な売却によるキャピタルゲイン狙いの増加。

このように、税負担の移転によって投資家層の構成と行動パターンが再編されたことが示されています。
特に、小口個人投資家が高配当株を敬遠する傾向が強まり、市場構造そのものの変化が確認されました。


③ レバレッジの変化 ― 税制改正と資本構造の最適化

本研究の重要な発見の一つが、企業のレバレッジ比率(Debt-to-Equity Ratio)の変化です。

分析結果は以下の通り,

企業属性 レバレッジ変化 解釈
高配当企業 レバレッジ上昇 税制変更により「内部留保の再活用」が促進
低配当企業 レバレッジ低下 借入依存度を減らし、キャッシュフロー防衛へ
キャッシュフローが豊富な企業 安定維持または微減 自己資本による資金調達を優先

特に注目すべきは、配当支払いを維持した企業ほど借入(レバレッジ)を増加させた点です。

これは、投資家の期待に応えるために外部資金を用いて配当を継続したことを意味します。
著者らはこれを「課税制度ショックに対する財務的適応(financial adaptation)」と位置づけています。

④ 資本投資(Capital Investment)の変化 ― 成長戦略への波及

配当政策の変化は、同時に企業の資本支出(Capital Expenditure, CapEx)にも影響を及ぼしました。

研究データによると、

  • 配当支払比率が高い企業ほど、2020年以降の資本投資を増加。

  • 特に機関投資家比率が高い企業で顕著

  • 投資対象は設備拡張・デジタル化・海外展開など「長期リターン型」。

これは一見矛盾しているように見えますが、背景には次のメカニズムがあります。

「投資家への信頼維持(高配当維持)」と「成長への再投資」を両立することで、政策変更後の企業評価を下支えしようとした。

つまり、配当を減らさずに将来成長への投資を続けることで、
市場に対して「財務健全性と成長余力の両立」をアピールした形です。


⑤ 長期的効果 ― 「税の帰着」が企業戦略を変える

最終的に、著者らは次のように結論づけています。

配当配布税(DDT)の撤廃は単なる税率変更ではなく、
「税の帰着(Tax Incidence)」を通じて企業と投資家の戦略的関係を再構築した。

この制度変更を受けて、

  • 投資家は「税後リターン(after-tax return)」を重視し始め、

  • 企業は「投資家構成を意識した配当・レバレッジ戦略」を採用。

その結果、配当政策は単なる利益分配の問題ではなく、
税制と所有構造の相互作用による戦略的意思決定」として再定義されました。


⑥ まとめ ― 制度改革が映し出す金融行動の再設計

観点 変化 含意
配当政策 企業が税制に応じて調整 投資家対応型経営の台頭
投資家構成 小口→回避、機関→選好 市場の二極化
レバレッジ 高配当企業で上昇 財務的柔軟性の活用
資本投資 投資継続・拡大 成長と配当の両立戦略

6. 理論的考察と結論 ― 「誰が税を払うか」は企業行動を変える

本研究は、インドの2020年配当配布税(Dividend Distribution Tax, DDT)撤廃という自然実験を通じて、
「法人が税を払うのか、それとも投資家が払うのか」――その違いが企業の財務政策にどのような影響を及ぼすかを明らかにしました。
その結果、単なる税率の変更ではなく「課税主体の変更」こそが、企業の行動と投資家の意思決定を大きく変化させることが示されました。


① 税の帰着(Tax Incidence)という視点

本論文の核心は、「税の帰着」という古典的な経済概念を実証的に検証した点にあります。
すなわち、

「税金を誰が法的に支払うか」と「誰が実質的に負担するか」は必ずしも一致しない。

DDT制度下では企業が表面的に税金を納めていましたが、
実際にはその分だけ投資家への分配可能利益が減少していました。
制度撤廃後、形式的には投資家が税を負担する構造へと変わりましたが、
市場の反応は「企業価値の変化」として現れました。

このことは、課税主体の違いが投資家の期待・企業の資本構造・株価形成に実質的影響を及ぼすことを意味します。
つまり「誰が税を払うか」は、単なる徴税手続きの問題ではなく、
企業と投資家のインセンティブ設計そのものを変える要素なのです。


② 実証的インプリケーション ― 財務戦略の再構築

研究の実証結果から、次の3つの重要な含意が導かれます。

観点 含意
配当政策 課税主体の変更により、企業は配当維持・増加を通じて「信頼シグナル」を発信しようとする。
資本構造 税制の変化がレバレッジ水準を変動させ、企業がより柔軟な資金調達を行うようになる。
投資家構成 小口投資家が税負担を回避する一方、機関投資家が高配当株を選好し、市場構造の再編が進む。

これらは、企業財務の「配当」「資本構造」「投資決定」が税制と所有構造の組み合わせによって動的に変化することを示しています。


③ 理論的示唆 ― 「課税の形」が市場効率を左右する

経済理論の観点から見ると、DDT撤廃は「法人課税中心」から「個人課税中心」へのシフトを意味します。
これにより、市場効率性(Market Efficiency)と公平性(Equity)の両面で影響が生じました。

  • 法人課税中心(旧制度)では、投資家間の税負担差が小さく、配当の中立性が高い。

  • 個人課税中心(新制度)では、税率の差が投資家層の行動に強く影響し、
    結果として「投資家間の格差」や「資金の流動性変化」が発生。

つまり、

税制設計の微妙な違いが、「市場がどのように資金を循環させるか」その構造を根本から変えてしまうことが明らかになりました。

④ 政策的含意 ― 税制改革がもたらす実務上の示唆

著者らは、企業・政策担当者・投資家に対して次のような提言を行っています。

  1. 企業経営者へ
    税制変更時には「投資家層ごとの税後リターン」を明確に意識し、配当戦略を最適化する必要がある。
    特に高配当企業ほど、レバレッジ管理や資本投資方針を慎重に見直すべき。

  2. 政策担当者へ
    税制の「公平性」だけでなく、「資本市場への波及効果」を同時に評価すべき。
    DDT撤廃は企業活動を刺激した一方、所得分配や市場流動性の偏在を引き起こす側面もあった。

  3. 投資家へ
    税後リターン(after-tax return)に基づいた投資判断が不可欠。
    同じ配当利回りでも、課税体系によって実質リターンは大きく異なる。


⑤ 結論 ― 「配当税の支払い主体」は市場の構造問題である

研究の最終的な結論は明確です。

「企業が税を払うか、投資家が払うか」は単なる形式上の違いではなく、
市場参加者の行動・企業財務の最適化・投資家層の分布にまで影響する実質的な問題である。

インドの事例は、配当課税制度が企業の財務意思決定や市場の構造に与える波及効果を明確に示しました。
この結果は、他国における配当課税制度の設計――特に法人・個人間のバランス調整――にも重要な示唆を与えます。


用語解説

 ■ 配当配布税(DDT: Dividend Distribution Tax)

インドで2003〜2020年に導入されていた制度で、企業が配当を支払う際に税を企業側で一括納付する仕組み。

■ 税の帰着(Tax Incidence)

税金を誰が支払うかと誰が最終的に負担するかの違いを分析する経済学の概念。

■ イベントスタディ(Event Study)

政策・ニュースなどのイベント発表が株価に与える短期的な影響を分析する手法

■ 異常収益(Abnormal Return)

市場全体の動きとは独立して発生する、特定イベントに起因するリターン差分。

機関投資家(Institutional Investor)
銀行・保険会社・年金基金など、大口で株式を保有・運用する投資主体。
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